小林さんの腕(かいな)

小林さんの腕(かいな)

僕の義母、家内の母は昨年スキルス胃がんで亡くなった。本人や家族、僕も含めて告知を受けてから、わずか8ヶ月後の出来事だった。

僕は24歳の頃、半同棲していたにも関わらず、猛烈に別れたがっていた彼女から母子感染で彼女が保持していたB型肝炎ウイルスを見事に頂戴し、見事発病、生死の境をさまようことになった。

戦時中のサナトリウム野戦病院を彷彿とさせるような薄汚い病院で、僕は毎日天井のシミを眺めていた。
それでも、隣のベッドの男性が小林さんという名前であることを知るのに、そんなには時間はかからなかった。

小林さんはちょうど今の僕くらいの年頃であったろう。毎日お見舞いにきていた優しそうな可愛げのある奥さんと小林さんは会話が少なく、看護婦(当時はそう呼んでいたし、今ではAVでしか見かけない看護婦の帽子もきちんと皆被っていた)が「小林さん」と声がけする名字だけが浮き上がって聞こえたからだ。

小林さんと僕が初めて言葉を交わしたのは、僕がB型肝炎の影響かどうか、いまだに不明だが、股の付け根(要はチンコの脇)に蜂窩織炎と呼ばれる直径20cmほどの炎症を起こし、その痒みにどうしても耐えられず、自分で陰毛を自ら剃毛した直後だった。

看護婦は自分で自分のを剃る患者は初めて見たと言っていたが、年齢のさほど変わらない異性に陰毛を剃毛されて平然としていられるほど、当時の僕はそこまでの変態さをまだ持ち合わせていなかった。

小林さんは、「チン毛を剃ってスースーしないんかい?」と徐に尋ねてきたように記憶している。
「それほどでもないですよ」、確かその程度の他愛のない会話が始まりだったと思う。

小林さんは細い人だったが、見た目には元気そうだった。ただ、毎日行う点滴の針が中々入らなかったり、最中の痛みがどうにもひどかったらしく、苦々しい表情をしていることが多かった。
ただ、看護婦や医者に文句を言うことは一切なかった。

小林さんの頭上にぶらさがっている点滴はバケツほどの大きさがある上に、レゴブロックでしか見たことがないような赤透明の液体を抱えていた。それを10時間近くかけて落としていたと思う。

小林さんは横になりながら、自分の上腕を両方うえに持ち上げ、まじまじと不思議そうに見ていることが多かった。僕は小林さんが一日に何度もその作業を繰り返すのを見て、不思議でならなかったが、なぜそうするのかは、なぜか問いただすことができなかった。

そうこうしている僕の病状は激烈に悪くなった。肝臓の数値は通常値の数千倍はあったと思う。
悪戦苦闘の結果、僕の病は回復していったのだが、それと相反して小林さんの病状は悪化していき、みるみる間に大量の腹水を抱えるようになっていった。
後で、小林さんの知り合い看護婦から、彼が胃がんであることを聞いた。

そんな言葉は当時無論知らなかったが、僕と小林さんの生命の推移は、損益分岐点図表を見ているかのようなイメージだった。

回復の道筋を得た若き僕は見る見る間に健康を取り戻し、やがて退院の日を迎え、小林さんと一旦の別れを迎えることになった。

当時まだ珍しかったデジカメQV-10で、小林さんの写真を撮り、「また、すぐ見舞いに来るから」と笑いながら約束を交わし、手を振りながら、意気揚々と僕は病室をでて、外泊ではなく帰宅した。

五日後。

僕は、小林さんの病室を訪ねた。
そこに、小林さんの姿はなかった。
彼は僕が退院した翌日に亡くなっていた。

僕はまた見舞いに行くという、永遠に果たせなくなった約束を憂い、オイオイと声を上げて泣いた。

一周忌の命日に小林さんの自宅を突然訪ねた。
小林の表札がかかったままだった。
奥さんは静かに迎えてくれ、焼香させてくれた。

僕は、小林さんの恐らく最後の姿を納めている写真を見せようと自分のノートPCを持参していた。
そして、奥さんに見せようとPCを起動させようとしたが、なぜかブラックアウトしたままPCは起動しなかった。

奥さんは、「きっと、見せたくないんだよ」とだけ言った。そのかわりに奥さんは生前の小林さんの写真を見せてくれた。

そこに写っていた小林さんは筋骨隆々の逞しい偉丈夫であった。
特に太い上腕、彼は病室のベッドの上で自分の太かった腕がやせ細ってしまったのを眺めていたことにその時初めて気付いた。

僕は声を出さないようにさめざめと泣いた。

その後小林さんの自宅には七回忌まで線香を上げに行った。

小林さんの影響もあり、僕はがんに強い関心を持つようになった。
計らずも、義母のスキルス胃がんが知れた時、それまで蓄積した知識が役に立った。

役に立った。

というのは、義母を救う役に立ったわけではない。限られた時間の中で、取り得る最良の選択をするのに役に立ったというだけの話だ。

小林さんが亡くなってから、義母も含め、友人も、亡くしただけで、救ったことはない。
小林さんが亡くなってから、あそこまで逞しい腕の人間を間近にみたことはない。
小林さんが亡くなってから、自分のチン毛を剃ったこともない。