透明なガラス

僕は彼女のことを好きでもなんでもなかった。最低だったと思う。
ただ、明け方まで飲んでいて、勢いでキスをして、SEXをしてしまっただけだった。

彼女とはそのまま付き合うことになった。
当初から違和感を感じていた。なにか違う。フィーリングが合わない。会話も弾まない。
無口だねと言われたのは、後にも先にもその時しかない。

彼女は十二社の近くに妹と二人で住んでいた。
僕はその部屋に転がり込んだ。妹は家を空けがちで、妹がいない時に僕達はSEXをした。

確か、初めてそうなってから四、五回目の時だったと思う。
事を終えてから、しばらくして彼女がシクシクと泣き出した。まさしくシクシクという感じの泣き方だった。
僕は当然のことながら、その理由を尋ねた。

彼女は、泣きじゃくるような感じで、「私はB型肝炎のキャリアなんだ」といった。

キャリアは保菌者という意味だが、彼女は出産時の母子感染でキャリアとなっており、彼女自身は急性的な発病はしないものの、菌が駆逐されることはないため、性交渉等により、相手に血液感染をもたらすリスクを抱えていた。

これまで、発病した相手はいないという。

僕は、彼女を物理的にも精神的にも、その時点で突き放すことができなかった。
きちんとコンドームをしていれば、感染は防げたはずだった。
それでも、僕はその後も関係を続け、積極的にコンドームも装着しなかった。

当時。

ビッグマックが200円で販売されることが時折あった。
その時は僕はビールとビックマック4個!を購入してそれらを平らげるのを常としていた。

ある日、いつも通り食べているのだが、どうにも食が進まない。
最後の1つがどうしても、口に持っていけない。
これまでに、そんなことは一度もなかった。
不安を押し隠しながら、最後の1つを僕は駅のゴミ箱に捨てた。

その週末の日曜日だった。
家のトイレで小便をしたら、工事中の看板の黄色のような液体が出た。
兄貴に頼んで、休日診療所に連れて行ってもらった。

そこで、検尿検査をしたが、医者は検査結果を見て、わかりやすく首をかしげるばかりだった。一方で、僕にはすべてが明確にわかっていた。

そのまま紹介状を持って、同じ市内の日赤に向かった。
そこで、血液検査をしたらば、医者は「このまま入院してください」と僕と兄貴に告げた。
「じゃぁ、荷物を一旦取りに帰ります。」「いえ、このまま入院してください。」
看護婦が車椅子を持ってきて、歩いてそこまで来たにも関わらず、そこから病室まで車椅子に押されて行った。

そこからは、小林さんとの入院生活で書いた通りだ。

僕は晴れやかに退院した。
ただ、ちょうど就職活動を控えており、当時出現し始めたエントリーシートや種々の活動のための書類を揃える必要があった。

僕には何もできなかった。それを彼女が支えてくれた。当時は就職超氷河期で内定を貰える見込みは限りなく低かった。
僕は追い詰められているにも関わらず、何もできなかった。
自分の卒論をA4一枚にまとめる難題などできるはずもなかった。それを彼女が一から書き上げてくれた。頭のいい子だった。

結果として、僕はその企業ともう一つの企業の内定を得ることに成功した。だが、それはもう少し先の話だ。

僕は、彼女と発病後もなんとなく関係をずるずると続けていた。

別れ話は何度もした。

秋葉原駅で別れ話をした時に、彼女は黄色い線の外側に立った。それ以上話を進めることができなかった。

市ヶ谷の路上で別れ話をした時に、彼女は僕の頬を拳で殴った。僕は人目もはばからずオイオイと声を出して泣いた。

新宿駅の近くの歩道橋で別れ話をした時に、彼女は飛び降りるそびりを見せた。

僕の中で何かが弾けた。歩道橋は手すりまでの高さのガラスで覆われていた。僕はそのガラスを素手で思い切り殴り続けた。ガラスはビックリするくらい固くて、ビクともしなかったが、何度も何度も素手で殴った。

彼女はハッとしたように、僕を押し懐き、僕が殴るのをやめさせてくれた。

それでも、僕はまだ彼女と別れられなかった。

(つづく)