K子ちゃんと大学

彼女と出会ったのは、大学に入学して間もない頃だ。
その頃はまだ牧歌的な時代で、ある気の利く同級生がクラス全員にアンケート用紙を配り、自己紹介、住所、電話等や趣味などが記載された連絡帳みたいなものを作ってくれていた。

いまのようにスマホもパソコンも普及しなかった時代だから成立し得たものだろう。

それで、彼女の名前やだいたいのプロフィールは話をする前からだいたいわかっていた。

K子ちゃんはかわいい子だった。ただ色々な芸能人も出身だという名門校から、センター試験のみで、僕と同じ学科に来たとのことだった。要は滑り止めの学科にしか受からなかったということのようだった。

化学が専攻だったので、女の子の数は10人程度だったと思う。
その中の一人に僕は面と向かって、「ココは第七志望だった」とハッキリ言われたこともあった。

僕がなぜこの大学のこの学科を選んだかと言うと、本屋に募集要項が僕が実際に卒業した大学と日大しかなかったからだ。
もう一つ、予備校で感銘を受けた化学の先生が僕が入学した学科の一期生だったことも大きかった。

ただ、もう少しマシな大学が残っていたら他にも受かっていたかも知れない。

なぜそのような選択をしたかというと、大学に行くことにそもそも興味がなかったのだ。僕の中で大学に行くことが無意味であるという定理の証明が完了していた。僕はアメリカやその他外国に行って生きた英語を学んでみたかった。

親父は真っ向反対してくれた。反対して、約半年ほぼ毎晩僕を説得してくれた。親父がどれだけ言っても、僕は聞く耳を持たなかった。ただある日突然、「日本の大学がムダなのはよくわかった。でも行け。どこでもいいから。日本の大学を卒業したら留学する金を出す」と言ってくれた。

それが僕が募集要項を本屋に探しに行く前日のことだった。もうギリギリで平積みの募集要項コーナーはほとんど空っぽで、僕の大学と日大のものしか残っていなかった。

結果的には、どちらも受かって日大でないほうに行ったのだが、もし日大に行っていたら、例のタックル事件のようなひどい何事かに巻き込まれていたような気がする。

大学入学当初、K子ちゃんとはしばらく中のいい友達という感じだった。
そうこうしているうちに僕はMという心優しい子を好きになった。

K子ちゃんとMは仲が良かったので、僕はK子ちゃんにどのようにアプローチすべきか相談することにした。

しかし、そこでK子ちゃんは「なぜ私じゃないの?」確かにそう言った。

正直なところ、僕は不愉快だったと思う。人の気持なんてそんなに簡単に制御可能なものじゃない。
そうですか。K子ちゃんがそういうならば、K子ちゃんが好きですね、やっぱりなんて、破廉恥な真似はできなかった。

なかったことにする。そういって僕はK子ちゃんにいるその場から離れた。

一週間位後、僕はK子ちゃんと付き合っていた。

K子ちゃんは厳しい家庭に育っていて、門限が厳しかった。都心にある学校から門限である夜8時には自宅に帰らなければなかった。例外はなかったように思う。

仕方がないので、僕らは昼間にラブホテルに行くことにした。いまはどうだかわからないが、鶯谷まで行けばそこばラブホだらけだった。彼女は僕の初めての相手だった。彼女もそうであったらしい。そう言っていたし、現に演技とは思えないほど痛そうな様子だったからも、やはりそうであったのだろう。

今にしてみると、申し訳ない気持ちで一杯でもある。

K子ちゃんはやや太めでかなりそれを気にしていた。ラブホでそういうことをする時は必ず腹部にバスタオルをかけた。それを僕に見られたくなかったからだ。

でも食べるのが好きな子だった。どれだけ喧嘩して泣いても、昼食を欠かすことは無かった。

そんなある日。僕は合コンに誘われた。ダイちゃんという男の子からの誘いだった。
K子ちゃんとはお酒を飲みに行ったこともなかったので、非常に魅力的な誘いだった。

合コンは大いに盛り上がった。そして僕はマミコちゃんという女の子と酔った勢いでキスをしてしまった。

その次の日。いつもとおりK子ちゃんとデートしたのだが、僕は彼女の手をどうしても握ることができなかった。

それから数日後、御茶ノ水で僕は彼女に別れを告げた。

彼女の第一声は「冗談でしょ?」だった。

冗談ではなかった。その瞬間、僕は彼女のそういうところが好きになれないのだと、誠に勝手ながら悟った。

何度も僕が教えても理解できない有機化学を人に尋ねられたら、さもわかってるように教えてあげるところ。
結局は、自分が一番かわいいと考えているところ。

そういうところが根本的に好きじゃなかった。
いや、嫌いになっていた。

その後、彼女は学科で2番の成績を修めて卒業し、良い大学院に進学していた。
僕は、偏った自己努力と彼女のノートのお蔭でギリギリ留年しないで卒業し、同じ大学の大学院に進学した。

風邪の便りに良い企業に内定を取ったという話を耳にしたが、その後どうしているのかは知らない。
きっと幸せな家庭を築いていることだろう。
もう会うこともないだろう。