ピコさんと僕

彼女と出会ったのは、2017年の5月の末だった。その頃まだ彼女はまだピーコと名乗っていた。

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彼女は既にステージ4のスキルス胃がんで僕の義母と同じほぼ同じ状況だった。

彼女は2016年の8月からブログを始めていて、僕がその存在を知ったのは2017年の初頭頃だったろうか。

dxhry124.muragon.com

最初は眺めていただけだったが、すぐに彼女のユーモアあふれる軽妙な文章と彼女自身の魅力に引き寄せられて、日々の更新を楽しみにするようになった。4、5日おきの更新が常だった。

彼女ははてなブログでもアメブロでもなくムラゴンというあまり馴染みのないブログサービスを利用していた。彼女曰く、そのほうが注目が集まらないからだそうだ。そもそもブログなんて書かなければいいじゃないかとは、僕は思わずに、むしろ彼女らしいなと思った。

ムラゴンのデフォルトの設定らしいのだが、読者のコメントは通常表示されないが筆者は読むことができる。
彼女は読者からのコメントを読んで、返信のみを本文に書くというあまりみたことのない形態をとっていた。

僕は勇気をもって、最初のコメントを書いてみた。恐らく同病の義母がいて、同じ薬を飲んでいて副作用に来るしんでいるのだといった内容だったと思う。

ピコさんはそれ以来欠かさず僕のコメントに返信をくれた。

彼女のスキルス胃がんは義母と同様に手の施しようがないものだった。
それでも、時折僕と彼女はコメント上でテキーラの乾杯のやり取りなどをしたりした。

やがて、ピコさんは抗がん剤を受けるのをやめた。

抗がん剤の副作用が気に入らなかったのもあるだろう。シミがひどく出るとも言っていた
まるでドラゴンボールのセルのようだと。彼女がユーモアを忘れたことはなかった。


抗がん剤をやめてからの彼女は健康そのものにみえた。


一方で、義母は抗がん剤を続けたまま2017年10月に亡くなった。彼女より遅く診断されたが8ヶ月で亡くなってしまった。ピコさんはブログの向こう側で涙を流してくれた。

新たに仕事を初め、イケメンボイスのイケボくんという恋人にも恵まれた。
その愛の日々もためらわずに記録している。それでも彼女にはその先が見えていたに違いない。

ある日のこと、彼女は突然腰の強い痛みを訴えるようになり、ほぼ同じくして左肩のリンパ - ウィルヒョウ腺の腫れの写真を掲載した。僕はすべてを悟った。

彼女のブログの更新間隔が長くなり始めた。

最後の彼女自身の更新は2018年の1月24日だった。

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最後は、コメントをくれた全員に振り絞って返信している様子だった。
僕に対しては、下記のような返信が来た。

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なかなかブログをアップ出来ない日々が続いてしまいました。コメント返しが短縮になってしまいます。ほんとはもっと書きたいのですけどね、どうしても体がもたないので(;'∀') 薬も効く、効かないがあったりして試行錯誤中なんです。しかし最近になって麻薬系の効き目がよくなってきたような・・?
ママサマと娘さんのために貢献!素敵です!私も今イケボくんのために何か貢献したい!けど何も出来ないっていう・・(;´∀`)でも来ないでと言っても来るのでこれ仕方ないですね(と私が言う)
あと連投ありがとうございます。ご心配をおかけしてしまってますね。私がスマホから投稿出来たらな~(というクズっぷりなのであります)
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これから彼女からの最後の返信だった。

当時の僕は知らずに、ずっとコメントを返し続けた。

2018年4月5日代理人の方が更新をしてくださった。

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最期の状況ですが、1月末頃から息苦しさを訴え、2月1日にホスピスに再入院しましたが、入院してからは蝋燭のようにあっという間に天国に旅立ってしまいました。
私見で恐縮ですが、同じ病気で苦しんでいる方やご家族の方々は残されている時間は本当に少ないと思いますので、時間が許す限り寄り添ってあげてくださいませ。
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出会ったこともない人なのに大切な人だった。
涙が溢れた。

僕はこのようなコメントを残した。

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あなたの優しさとユーモア。ずっと忘れないよ。ちゃんと文書として残ってるしね。

本当にありがとう。あなたに随分救われました。何もお返しできなくて本当にごめんなさい。
テキーラ一杯くらいおごらせて欲しかった。

ここで、僕が好きな「勧酒」という漢詩井伏鱒二の訳を送るね。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

独女なんかじゃないよ。独りじゃないよ。皆ずっと応援してたよ。
でも、サヨナラは僕も含めて、誰にでもいつか来る。
ピコさんは少し早かったけど、天国か次の人生ではきっとまためぐりあえると思う。今度は、面識を持てると思う。

色々支えてもらったのに、なにもしてあげられなくて、本当にごめんね。
でも、明日から前を向いて生きるよ。ママと娘と一緒に。
あなたのことは絶対に忘れない。40歳で亡くなったけども、最後まで美しい人でした。

痛みや不安から解放されて、自由にのびのびと天国で遊んでください。かわいいお着物も着てね。
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彼女の生きた証は僕の中で残し続けてい行きたい。