木彫りのテープカッター

中学二年生の時の美術のテーマだった。確か1、2ヶ月かけてフラットの木の板から、なにかしら自身でデザインしたテープカッターを造形するという授業の一環だ。

僕はテニスのラケットを選んだ。表面に自身の好きなキャラクターを付けようとしたが、美術の教師の反対にあって辞めた。今思えば美術の先生の判断は正しかったと思うが、完成後持ち帰り、早々に母が廃棄してしまったので、どちらでもよかったといえる。母のそういう性格を知っていたので、あまり熱が入らなかったのかもしれない。

しかしながら、僕の左隣の席の新井さんのモードは違った。

彼女はカメをモチーフにしていた。
モチーフの段階で既に失敗していたが、別に他人の作品に口を出すほど美術に熱意があったわけではなかったし、彼女と口を聞いたこともほとんどなかったので、別段口出しすることはなかった。

美術の時間は2時間ぶち抜きで、3時間目、4時間目がそれに当てられていたように記憶している。

何回目かのその課題の授業の3時間目の途中だったと思う。

新井さんがいきなり、叫び出した。

「なぜ私の木だけ上手く彫れないの!」

彼女は泣きながら、彫刻刀をガスガスと自身のカメの甲に突き刺し始めた。

僕はその彫刻刀の先がいつ自身に向いてくるのかが恐ろしくて、まったく気づかないフリをして、僕自身の彫刻刀でラケットのガットの部分を無心に削った。

やがて先生が駆け寄ると、新井さんは猛ダッシュして、女子トイレに籠城してしまった。

美術の先生は籠城に付きっきりになってしまったため、僕ら生徒は、ほぼ自習時間のような扱いになった。

しかし、昼休みを過ぎても新井さんはトイレから出てこようとしなかった。
長く籠城するには最適であったろう。トイレ休憩の必要がないのだから。

たっぷり6時間目の途中まで、給食も食べずに付きあわせられたと思う。

彼女はぐったりとうなだれて、先生に支えられて投降してきた。

奇妙だったのは、翌週以降のことで新しい木の板を与えられた新井さんは何事もなかったかのように嬉々として、またあのカメを彫り出しているのである。

友達と談笑を交わす余裕もある。

我々に与えられたあの恐怖はなんだったのか?

随分と長じてから、キーボードやディスプレイ、電話などを叩き壊す人々が世界中に監視カメラで記録されているところをYouTubeなどで見ると、新井さんは特別に異常なわけではなかったのであろう。

ただ、注意しなければならないのは、新井さんの持っていた彫刻刀は、包丁にも、ハンマーにも、日本刀にもなり得るのだ。

そして、刺されるカメのほうは、人間を含むその他生き物になり得る。

そういう教育上のケアをされなかった僕らの世代は、他の世代より人数が多いこともあるが、人を多く簡単に傷つけやすい傾向がある気がする。

新井さんはどうしているだろうか?
彼女が凶器を持たずに、狂気にも陥らず、ニコニコと生活してくれていることを切に祈りたい。