シロと僕

シロの鼻はピンクだった。シロといっても、薄汚れた白っぽい体毛を持つ性格の良さそうな間抜けな顔した野良犬だった。
僕が小学4年生くらいの頃は、社会も保健所もさほどやかましくはなく、シロのような野良犬や野良猫たちは僕の住んでいる社宅のあちこちを徘徊していた。
今現在の首輪が着いていない犬をみかけない時代を考えると、星新一ショートショートを読んでいるような気持ちになる。

シロはどこからともなく現れた。社宅は100棟近くはあっただろうか、マンションタイプではなく、五戸の平屋建てと残り90等ほどの二階建ての家屋がひしめいているようなタイプだった。

僕は五戸のうちの一つの平屋建てに住んでいて、目の前に学校の校庭半分より少し小さくしたくらいの芝生の広場が広がっていた。
遊具といえば、錆びれたブランコがあるだけで、專ら野球をやるくらいで何の変哲もないただの広場だった。

芝生といえば聞こえがいいが、年間を通じて青々としていることは皆無で、干した藁のような色をしており、冬季にはひどく乾燥してパサパサしていた。

一度母親が家の横でたき火をしたまま放置しておいたところ、その広場に燃え広がり芝生全部が真っ黒に消失してしまったことがある。

子供心にもうっすら知っている太平洋戦争やベトナム戦争を彷彿させる光景だった。芝生、今思えば単なる雑草だったかもしれない植物の回復力は驚異的で、数ヶ月後には何事もなかったのように前の藁色を取り戻していたように記憶している。

その出来事が僕がシロと出会う前だったか後だったのかは定かではないが、シロと出会ったのは、小学生3年生か4年生の頃だったと思う。

昼間広場でボールを投げたり、追いかけっこをしたりして、シロと遊ぶようになり、やがて夜になると広場の近くの我が家にシロはエサを求めてくるようになった。

広場に面した兄貴の部屋には下辺が丁度犬の顔がギリギリ届くか届かないくらいの窓がついていた。

この時期よりもっと小さい頃、僕は兄貴の部屋で、マッチ箱の中に柄がマッチの発火する頭から折れて、その頭の下に柄が5mmほどしかついていないマッチの折れ先を見つけた。

兄貴は優しい男でどちらかというと仲は良かったとは思うのだが、9つ年下の僕は生意気で喧嘩ばかりよくしていた。
その兄がその火薬の頭だけと言っていいマッチに火をつけてみろと言う。
あるいは、僕がこれだったら火がつけられるといったのかもしれない。きっと多分そうだったのだろう。

低能で無鉄砲だった僕は間髪入れずに火をつけた。

当然だが熱くて持っていられない。そこで、兄貴の部屋にあった鉄製の円筒状の当時流行っていたカウンタックなどのスポーツカーが描かれているゴミ箱に火のついたマッチを僕は捨てた。

至極当たり前だが、ゴミ箱の中のものは、あっというまに誘火した。

兄貴も慌てて、そばの窓を開けて、ゴミ箱を外に運び移した。
ゴミ箱は窓の外でキャンプファイヤーのように赤々と燃えていた。

それを見ながら僕はどういうパターンでこの件について、両親から怒られるのかばかり考えていた。
翌朝見てみると、ゴミ箱は鎮火していたものの、どでかい鉛筆の中芯のような物体になっていた。

その窓の外のゴミ箱に関して、どのように両親から怒られたのかは記憶にない。

その窓から、シロにエサをあげるようになるのに時間はかからなかった。
僕には姉と兄がいるのだが、彼女、彼らもシロに同情的で、僕と一緒になにかしらエサを与えてたように思う。

当然のようにシロも僕に懐いてきて、僕が遊びに行くときには必ずついてきてくれるようになった。
相棒を常に引き連れている僕は少年探偵団に入ったような心持ちで誇らしげだった。

シロは僕に極めて忠実で帰宅時に、口笛で呼ぶと勇み走って僕の足元にきて、自宅に戻ると、兄貴の部屋の窓の下に寝転がった。
当時は座敷犬という言葉があるくらいで、野良犬を家にあげるという発想はそもそもなかった。
窓の下に待つシロに夕飯の残りなどをあげるのが僕の日課となっていった。

シロと僕の楽しい時間は数ヶ月ほど続いただろうか。

ある日学校から帰宅すると、いつもいるべきところにシロがいない。
母親に尋ねると、社宅のKちゃんのところがあの犬がかわいいから飼いたいというので、あげたとしゃぁしゃぁと言ってのけた。

母親はこういうところのある人であることは、その時分には十分理解していたので、別段母親に激したりはしなかったが、もちろん寂しさはあった。

ただKちゃんのうちは広場向こうの更に400mほどいった2階建ての社宅のほうで、会いに行く気さえあれば、いつでも会うことができた。そのこともあって涙を流すほどの悲しみは覚えなかったと思う。

その後、小学生に大きなイベントが起った。

ファミコンの発売である。
いや、もしかしたらその前に発売されていたかもしれないが、僕らは虜になっていた。

毎年高学年がリーダになって、広場で野球チームを編成するのだが、僕の代で完全にそれが途絶えた。
皆が皆ファミコンで夢中に外遊びを極端に減らした結果である。

そんなこともあって、僕もシロのことを半ば忘れていた。

シロがもらわれていって、数ヶ月たった頃だろうか。
何の気はなしに、シロを見に行く気になった。Kちゃんのうちの側にはいくつか遊具があるこじんまりした公園があり、そこで遊ぶのもよかろうという考えもあったと思う。

シロが遠くに見えた。

シロはスヌーピーが住んでいるようなかわいい犬小屋をあてがわれ、首輪に鎖で繋がれていた。
遠目には幸せそうにみえた。

僕はシロに以前のように近づいて、なでてやろうと試みた。

ところが、数メートルほどの距離に近づいたその時、シロは僕に猛然と吠え始めたのである。

僕は相当なショックとダメージを受け、しばらく何もできないまま立ち尽くしていた。

シロは僕のことを忘れてしまったんだ。
あんなにかわいがっていたのに。
あたらしいKちゃんのお家がいいんだ。
僕なんかもういないほうがいいんだ。

この話の中学生の時、塾の高校受験の国語の作文の演習で書いたところ塾教師に随分と褒められた覚えがある。
そして、僕は長年シロの本心に気づかないままで成長を続けた。

確か、24才で大病をした後くらいだったと思う。

シロは僕のことを忘れていたんじゃない。
僕に怒っていたんだ。
あんなに忠実に一緒に遊んでいたのに。
口笛を吹かれたら必ずそばに走り寄っていたのに。

こんな鎖につながれた生活に、こんな飼い主のところに追いやるなんて、あんまりじゃないか!

それに気付いた日にはしこたま日本酒を飲んだ記憶がある。

この話を10年程前に家内にしたことがある。

シロに再会するくだりで、

「シロが吠えたんだよ。ものすごい勢いで、なんでだと思う?」

家内は、「そりゃ、怒ってたんでしょ」と事もなげに答えた。

僕は改めてシロの気持ちを理解していなかったことに気付かされた。
僕はその日も日本酒をしこたま飲んだ。

シロ。ごめんね。そうつぶやくのが精一杯だった。